プライベート

カフェタイム


 ここは、私当店3代目修行中、坂本龍馬と浜田省吾にに十代の頃から心酔している(しつこい(*^_^*))シナバーのプライベートコーナーです。
 独善的に暴走しますので、興味のない方は飛ばして下さいませ(>^_^<)


世の人は我を何とも言わば言え。我が為すことは、我のみぞ知る               坂本 龍馬

ひとりごと

 ”生涯青春”という言葉があります。若い頃、私もまた我が人生はその言葉に当てはまると信じていました。
 しかし、歳と共に少なくともこの言葉は私の未来には存在しない、と思うようになってきました。
 昔から私は友人たちに「私は私自身を信じていない」と言い続けてきました。明日、何をしでかすか判らないからです。思い立ったら、石橋を叩かずに渡ってしまう己れの性格を熟知していて、一瞬一瞬に心の熱情に抗うことなく生きていくことを自分に課し、それが私のある意味での矜持としてきた故です。
 それは今でも変わらないながらも、若い頃のそれとは異なるというのは、否定出来ない事実です。今でも自分を信じていない私でありながらも。
 若い頃は、怖いものは何もありませんでした。無意識のうちに、未来への可能性を信じていたからかも知れません。
 青春・・・死語と呼ばれようが、若い頃は紛れもなくその世界の中で生きていました。
 青いというのは、未知の世界の方が遥かに多いということ。
 無論、広義的な意味においては、人はこの命が絶えるまで未知の世界の方が多いものです。
 ただ、歳をとるということは、それだけ経験を積み重ねてゆくこと。それは同時に、世間、現実をより知ることに繋がります。
 それ故、無防備に、明るい未来だけを想像することが不可能となってしまいました。無能な己れ、愚かなる凡人、俗物であると知ってしまったからです。
 若い頃とは異なり、様々なシュミレーションが出来てしまうのです。
 必然、未来に対して臆病になってしまい、そんな自分に愕然としてしまうのです。
 とは言っても、根本的な性格は変わるわけもなく、生涯夢を食べていくしかない、そういう生き方しか出来ないとも判っている私は、”安定”という二文字を支柱に置いて来し方行く末を歩いている人のような賢さは持てそうもなく、最も中途半端なのかも知れません。
 若いということは、それだけで素晴らしいことだと、つくづく思う今日この頃です。もし、これを見てくださる若い人がいるならば、どうかその若さを、ただ歳を重ねていくことのみに費やさないで下さい。貴方たちは、若さという素晴らしい財産を持っているのでから。
 そういう心境の私ですが・・・だからと言ってその昔反発を覚えた年長者が口にする「人生、そんなに甘いものではない」という言葉だけは、今もこれからも使いたくはありません。
 不遜な言い方をすれば、十代の頃そう言われて「そんなことは、私は物心ついてから知っている」と、内心反発していた自分がいたからです。
 本質を変えられないならば、これからの課題は、シュミレーションの中からも、その範疇意外の何かに賭ける勇気を抱き続けることでしょう。私という人間は、世界で唯一無二の存在であり、無二の人生を歩いていかなければならないのですから。
 

突然着物に魅せられて

 呉服屋に生まれ育ち、着物といえば私にとって壁紙と同じようなものでした。
 幼い頃から没頭するものがあり、中学生の頃には漠然とですが、自分の方向性を決めてしまっていたものです。それは全く着物とは無縁のもの。大学も、それを想定して選択し、そのまま東京に留まって就職。残念ながら、学生時代既に才能のない事を思い知らされ、初期の夢には挫折しましたが、それでもその世界の末端にぶらさがっていた次第です。
 着物は、親が勝手に作ってくれていたのですが、全く興味ナシ。狭い東京の暮らしですから、着物は実家に管理してもらい、必要な時に送ってもらっていた有り様でした。ただ、”着ること”は好きだったので、洋服へのアンテナは張り巡らしていました。そんな私に、親は「情けない・・・本当に呉服屋の娘か」と頭を抱えていたものです。
 それが、20代後半になって急に着物が着たくなり、それも自分で着たいと着物教室に通い始めました。
 誤解を招かぬように、当時の生活には、至極満足していたことを付け加えておきます。現実からの逃避では決してありません、念の為。
 あれほど興味の対象から逸れていた着物・・・自分自身不思議で、帰巣本能としか分析出来ずにいます。
 そうして次第に、呉服商を生涯の生業としたいという思いが強くなってきました。
 私は我侭な人間なので、「したい」という思いが芽生えたらもうダメなんです。もう、それしか考えられない。で、後先考えずに動いてしまいます。それまでの軌跡も、両親には全て事後承諾。その度に父の猛反対に合いながら、殴られても殴られても引き下がりませんでした(因みに、現在騒がれている虐待ではないので、これも念の為)。
 ただ後先考えずと言っても、必ず「”今”を壊すことは、逃避という発想ではないか」と自問自答し、そうでないという自信を確信した上でのことです。
 そうして紆余曲折及び葛藤を経て富山に戻り、親に「修行をさせてもらいたい」と頭を下げました。父は既に他界していたので、店主は母。彼女は、怒りという感情を祖母のお腹に忘れてきたのではないか、と思うくらい温厚な人なのですが、それはあくまで他人にであって、子供には非常に厳しく、手が出たり声を荒げたりする父よりも私にとっては怖い存在でした。溺愛せずに(勿論、愛情は溢れるほどもらいましたが)、距離を置いて一人の人間として、崇高に生きることを求める人だからです。生半可な気持ちでは、この母の首を縦に振らせることが出来ません。ごく稀に、親の家業にお気楽に乗りかかる後継者もいるので、母も世間を熟知してますし・・・。しかし、杞憂に終わりました。母は私をずっと信じてくれていたので、その時も私の決意は何とか伝わりました。
 商売の厳しさしか知らなかったはずなのに、若い頃ならいざ知らず、敢えてそこに飛び込んでいこうとする私はいつまでも大人になりきれないのかも知れません。

 ・・・という訳で、私はまだまだ卵の段階なのです。
 着物は奥が深いので、いつ一人前になれることやら・・・。しかし、だからこそ魅せられるのかも。
 同業者の後継者には、学校卒業後すぐにこの世界に入る人が多いのに、私といえば、えらく回り道をして遅いスタートとを切ってしまいましたが、唯一の財産はその為に売り手側よりも、消費者側の立場がより理解出来るということかも知れません。呉服業界には、様々な問題がありますので。
 ですから、皆さんの力をお借りしたいのです。
 こんな呉服屋があればいい、呉服屋で嫌やな思いをした、着物のこんな所が敬遠する等などご意見を聞かせてもらえれば幸いです。
 又、呉服に関しての疑問など、私も勉強しますので、お聞かせ下さい。
 母はプロ中のプロですし、取り引き先、又私の恩師が京都にいらっしゃいますので(一応私自身、着物コンサルタント、着付師範の免除は持っていますので)、あらゆる情報網を駆使してお答えいたします。

面白きこともなき世を面白く  東行(高杉 晋作)
 


 
現在の心境格言
      幾度か辛酸を歴て志はじめて堅し、丈夫は玉砕するも瓦全を愧ず
                         西郷 隆盛



 誤解を招くような文章になってしまいましたが(文章の限界を感じる昨今・・・けれど、これは全て自分の稚拙さに起因することは否めません)、ご意見お聞かせ下さい。因みに、最も影響を受けた作家は遠藤周作氏なのですが、文才はどうしようもないとして、彼のように人の心の琴線に触れる文章というものを、生涯一作でいいから書いてみたいと小学生から思い続けて、挫折しまくりの現実でございます。
 自営業の方のメールもお待ちしております。苦悩と喜び、指針をお聞かせ願えれば幸いです。

メールMAIL

TOP